雑種のポメラニアン

フリープログラマーの日記とか人生観とか綴るよ

自信とプライド

昨日友達に私の性格について率直な意見を聞いてから
自分の過去を振り返りつつ冷静に自己分析したい気分になった。


実は私は過去に人格を否定した人間が二人いる。
他人の人格を否定するのはいけない事だが
否定した根拠は間違っていなかったと思う。

二人に共通していたことは
自信はまったくないくせにプライドだけはやたら高かった事だ。
こういう人間は自分より優れた人間に接すると劣等感を感じて凄い嫉妬する。
その異常なまでの嫉妬から滲み出る発言が想像を絶するほど醜いのだ。

未だかつてない位の怒りを覚えたので
つい彼らのプライドを粉々にするような発言をしてしまった。
自信のある人間ならそれでも立ち直れると思うが、彼らは一生立ち直れないと思う。
そう言う意味では酷い事をしてしまったが
先に失礼な発言・行為をしてきたのは彼らの方だ。
喧嘩を売った相手が悪かったと思ってもらうしかない。


正直書きたくないが、実は二人の内の一人は創価学会員だった。
(そこでの顛末が凄まじかったのだが、今回の記事には関係ないので省略)
そういう理由があるので、私は創価学会員は個性も尊重しないで無条件で無視するのだが
創価学会に限らず、宗教にハマってる人とは根本的に私は価値観が合わない。

その理由は、自分の信念を宗教に委ねるという考え方そのものが自分を否定していると考えているからだ。
自分の信念は自分のものであるべきだ。

そのためには自信が必要だが、自信を身につけるのは容易ではない。
私が自信を身につけるためにやっているのは
特別なことではないが、努力して結果を残して人に評価してもらうこと。
単純で地味だがやはりそれしかないと思う。
私の場合は昨年RedmineをRails3に対応させてネットに公開したことで相当の自信をつけた。
今年も紙芝居フェクターを作って動画をYouTubeにアップしたし
少なくとも努力をしているのを目に見える形で残している。
結局こういうことを積み重ねる必要があると思う。

宗教にハマってる人はこういうプロセスをすっ飛ばして
入信したというだけで信念を宗教に委ねるから根本的に「自」信がない。
でも「正しいことを信じているから他者より上」と思っているからプライドだけは高い。
こうして私が最も嫌う人間が完成する。


私にはプライドがない。ないというより意識してない。
プライドとは自信を磨くことで勝手についてくるものだと思っているからだ。
それは知性を磨くことで教養を身につけるのに似ていると思う。

デイリーインスピレーションというメーリングリストからの引用

「学び続ける人は、
たとえその人が80才でも、
若いと言える。

逆に、学ぶことをやめた人は、
20才でも年老いている。

人生で最も素晴らしいことは、
心をいつまでも若く保つということだ」
   (ヘンリー・フォード、フォード・モーター創業者)

年を取ると衰えも出てくるとは思うが
少なくとも知性を磨く努力だけは死ぬまで続けたい。