雑種のポメラニアン

フリープログラマーの日記とか人生観とか綴るよ

クレイジーを極めると神になるのか!?

さっき先週の八重の桜を観ていて、重厚に描かれた日本人の心・しきたり・厳かさ・愚かさの人間ドラマに感心しきりだったのだが
直後ディスカバリーチャンネルの車の歴史を途中まで観てまた考えさせられてしまった。

始めは獣医のジョン・ダンロップが空気タイヤの発明するプロセスの話でした。
息子が石畳を全ゴムのタイヤでお尻が痛くて困っていたのを思いやって
手術用のゴムシートと縫い針と接着剤で空気タイヤを発明したところまではすんなり感動しました。

しかし程なく下記の映像に至るのです。

これは鈴鹿サーキットで行われている華麗なドリフトを競ううレースだそうで3分で後輪のタイヤがなくなってしまうそうです。

昔カートでドリフトに挑戦して殆どコースアウトしてたヘボドライバーの私から見ると
クレイジーとも神業とも感じられるレースです。

私には神業に見えたダンロップの空気タイヤの発明プロセスと
クレイジーに見えたドリフトレースがどうも同じく神掛かった業に思われるのです。

人の業を見ると八重の桜で描かれていた機織りにしても耳かき彫りにしても足袋を縫うにしても
私にはとてつもなく凄い行為のように思われます。
動機は「夫を息子を思いやって」。

ただ単に「糸を織って布を作る」発想だけならクレイジーなのですが
それが「御布」(おんぞ:貴人を敬う衣服だそうです)にまでなると
糸に神が宿ったとしか思えないんですよ。

何かを思いやってクレイジーを極めると神になる

のではないかと思います。

ディスカバリーチャンネルの続きを見てみます。