読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雑種のポメラニアン

フリープログラマーの日記とか人生観とか綴るよ

一年の計は年末にアリ!?今年は年末詣してみようかと思います

今年(2016年)は柄にもなく箱根神社に初詣に行きましたが
別に願いが叶ったわけじゃないし
ちょっと振り返っただけだと良くないことばっかりだった気がしました。
それで、30日あたりに「2016私的10大ニュース」でも
まとめてみようかと思い立ってまとめてみたところ
もちろん一年通して悪いことばっかりだったわけはなく
良いことは忘れやすく
悪いことはいつまでも忘れないだけ

と言うことに気付きました。

特に大きかったのは12/3に下血した後
長年いがみ合っていた父と和解し
ここ5年浴びるように
(それこそ20度以上の焼酎を連日1ℓ以上)
飲んでいたお酒をぱったりやめられたことです。
これに関しては我慢しているわけではなく
飲みたい気持ちが全く起こらなくなったのが自分でも不思議で
これを私は「お前の願いを叶えるには順序というものがある」と言う意味に解釈しました。

それで来年(2017年)も初詣に行こうかと考えてたんですが
問題なのは「三ヶ日は人が多すぎる」と言うことです。
バスが動かなくてトイレがきついし
本殿も2時間待ちでお参りできません。
だったら年末に来年分のお参りをするのはどうだろうか?
と思って調べてみました。

jyohocal.info これによると

この年明けに神社やお寺にいくというのは
明治時代以降にひろまった、新しい習慣です。

それまでは、一家の主が大晦日の晩から
元日の朝にかけて、氏神さまのもとに籠る習慣がありました。

これを『年籠もり(としこもり)』といい、年をまたいでの
行事が初詣の原型といわれています。

やがて、年籠もりが、大晦日の夜の『除夜詣』と
元日の朝の『元日詣』との2つに分かれたのです。

つまり、いま私たちの間に広まっている初詣は
行事の後半部分だけが残った結果なのです。

そもそも、年籠もりは、家長が一年の感謝を捧げたうえで、
新年の無事と平安を祈願するための行事です。

感謝と祈願の2つの理由があったのです。

これを鑑みると、現代の私たちは
祈願だけのために、神社やお寺に赴き
旧年の感謝の部分を忘れてしまっているのでは?

そんな印象をうけます。


なるほど!と言うわけで、実は「初詣」より「年末詣」の方が
明治以前の元来のやり方と言うことがわかり
明日箱根神社に連絡して、年末の状況を聞いてみようかと思います。

仕事のデキる人は前日の夜に何をするか決めているそうです。
つまり「デキる人は前年末に今年何をするか決める!」ということで
年末詣はとても理にかなった方法なのです!!!

年賀状は昔の10年以上会ってない友達ばっかりだから適当でいいや。

年末は「今年の私的ニュースをまとめる」「来年の目標を決める」
「年末詣のお願い事を決める」という作業をしようかと思います。